先輩からのメッセージ 自分を知る 他人と繋がる~小松 浩さんインタビュー~

小松 浩(こまつ ひろし)
2018年放送大学「生活と福祉」コース卒業
ソフトバンクショートタイムワークスタッフ
発達障害
聞き手:殿岡 栄子(とのおか えいこ)

写真:小松 浩さん
小松 浩さん

100号 2018年7月25日発行 より


ノートが取れなかった小中学校時代

栄子:今回の「先輩からのメッセージ」は今年の3月に放送大学を卒業した小松宏さんに、大学に行かれるまでの経緯や、大学で学んだ時のことを中心にお話を伺います。当センターでも発達障害で大学を目指す方からの相談が非常に増えて来ています。しかし実際に学んだ経験のある方からの話を聞く機会はあまりありませんでした。そういう点からも、非常に貴重な機会だと思っています。
小松:そういっていただけるととてもうれしいです。たしかに発達障害の学生生活について当事者の声ってあまり聞かないですし、僕のように社会人で放送大学に行った当事者のこともあまり聞かないですね。
栄子:今年の3月に放送大学を卒業されたそうですね。
小松:実は僕は2回卒業してるんです。放送大学はコースが違うと再入学できるんです。最初に卒業したコースは「教育と心理」で、今年卒業したコースが「生活と福祉」です。3回目もチャレンジしようと思ってるんです。
栄子:それはすばらしいですね。それではまず少しさかのぼって、生い立ちからお話いただけますか。
小松:1971年に相模原市で生まれてずっと地元で育ちました。障害について気づいたのは社会人になった後のことでした。仕事についてから、集中力のなさやケアレスミスが多いなどで、どうしても長続きしなかったのです。そのころ大人の発達障害について少しずつ情報が出始めていました。それで、図書館で自分で本を読んで、もしかすると…、と思ったんです。
栄子:子どものころのことについてどう思いますか?
小松:今振り返って見ると、子どもの時にもほかの人とは違うところがだいぶありましたね。非常に不器用でノートが取れない。今でも書字障害はあると思います。当時、小・中学校はノートが取れないと良い成績はもらえなかったんです。算数に関しても、たぶん計算があまりできなかったんだと思います。
 その一方で、理科や社会のような科目に関しては黒板の内容を1度見ただけで暗記できるんです。ですからこうした科目ではいつもクラスのトップの方で、テストの点も良かった。この特性は「フォト記憶」と呼ばれるもので発達障害の診断の基準にもなったんです。放送大学で学んだ時にはこの特性がずいぶん役に立ちました。でも子どものころには「頭がいいくせにどうして怠けてるんだ」と言われてしまったんです。もちろん怠けているわけではなくて本当にできないんです。発達障害のために、言語の部分のIQと処理速度との間に非常に大きな差があり、理解していてもできない、と言うのが僕の状態だったんです。ですから非常に苦しみました。
栄子:当時はそれが障害からくる特性であるとは、誰も気づかなかったんですね。
小松:そうですね。勉強して理解できてもノートは取れないし、忘れ物も多い。ですからテストで成績が良くても、結局相対評価で十段階の五以上は取れませんでした。
栄子:勉強以外の生活の面ではどうでしたか?
小松:非常に好奇心が強い子どもでした。当時ちょうどインベーダーゲームが出始めたころで、ゲームセンターにはよく行っていました。学校には友達がいないけれどゲームセンターには友達がいましたね。今でもゲームは比較的好きですね。とにかく好奇心が強かったということがその後の人格形成には非常にプラスに働いたと思います。
栄子:勉強の面でのマイナスな部分だけではなかったということですね。
小松:そうですね。学校の外に出れば、それなりに人との繋がりはありました。人間好きというのは長所だと言われますね。今でも人を楽しませることは好きです。たとえば僕は折り紙が趣味で、折り紙を教えると喜んでもらえるので、それは、人と繋がるのに役に立ちます。それからプロレスも好きで観戦に行くんですが、会場でも、よく見かける人と友達になったりしますね。
 ただADHDの人は比較的自己完結型なので、一人でいるのも好きなんです。僕も今一人暮らしですし、自分の趣味など好きなことをやっているので、生活で強いストレスがたまるということはあまりないですね。
栄子:小・中学校の時、勉強面ではつらかったということですが、その後はどうでしたか? 小松:高校は下の方のレベルの学校なので、勉強についてはやかましく言われませんでした。中学と違ってノート提出の必要もない。すると僕の場合、成績は良かった。まあ、体育はだめでしたけどね。でも体育も「できないから評価は1しか付けない」ということはなく、きちんと出席して、できないなりにも頑張れば評価してくれました。だから体育が多少苦手でも留年するということはなかったです。
栄子:こうして聞いていると、やはり中学での教え方や相対評価で問題が大きくなるんですね。
小松:本当にそうです。中学ではノートがきれいに取れていないとか、忘れ物をしたとか、極端ないい方をすれば、先生に嫌われたら良い成績は取れない、という感じでしたね。しかも、その成績で受験できる高校のレベルまで分けられてしまっていました。
栄子:高校卒業後は?
小松:日本工学院八王子専門学校のOA科に進みました。子どものころからゲームが好きで、やがてコンピューターに興味を持ったんです。高校の時にアルバイトをしてPC8801を買いました。当時25万円くらいしました。ゲームくらいにしか使いませんでしたけどね。周りにもパソコンを持っている友達がいて、情報交換していました。それが専門学校でも役に立ちました。
 ただ簿記だけはどうしてもだめでしたね。やはり計算ができないし、商業高校から来ている人とは差がありました。でも単位が取れなかったのは簿記だけで、ほかの科目は勉強できましたし、英語も成績はトップの方でした。僕の場合、とくに日本語の漢字の書字障害が重く、むしろ英語の方が読み書きは楽でしたね。

仕事なし、支援なしに苦しむ

栄子:卒業後にすぐ就職したのですか?
小松:証券会社に就職しました。1992年にシステムメンテナンスとして入社したんですが、ちょうどこの頃は証券不況の時代で、大手の証券会社なども不祥事を起こしたりした時期でした。ですから会社に行っても仕事は無くて待機しているという感じで、あまりに退屈な上に世間からは僕たちのような証券会社の人間が「給料泥棒」と呼ばれてしまったりして、1年半でやめました。その後はずいぶんいろいろな仕事をして苦労もしましたね。
栄子:その辺りで障害に気づかれていくのでしょうか?
小松:そうですね。学生のころにアルバイトでスーパーの店員をやったことがあるのですが、販売は向いていましたね。持ち前のサービス精神というか、人が好きだったので。社会人になってからは、派遣であちこちの仕事をしました。そうした仕事の多くは、工場での流れ作業のようなことが多かったんです。こうした仕事では、求人広告で「誰でもできる仕事」とうたって人を呼ぶんですが、裏を返せば離職率が高い、ということなんですね。でもそんなことには気づかなかった。流れ作業には、自分は本当についていけませんでした。体温調節も苦手なので、湿度が高い場所での作業では疲れてしまうんです。結局すぐに首になってしまう。
栄子:そんな状況では、ずいぶんネガティブになってしまいますよね。そのような時期に障害について気づかれたんですか?
小松:図書館でいろいろと本を読みました。その中で、大人の発達障害の当事者の方が書いた本と出会いました。発達障害の一般書としては初期のものだと思います。その内容、たとえば子どものころの体験等が自分に重なる部分が多くて「ああ、自分だけじゃないんだなあ」と思いました。ただ当時は受診できるところが無くて、発達障害の診断を受けようにも受けられなかった。だから、自分では発達障害かもしれないと思っても、それを裏付けるものは何もなかったんです。こうして障害があるかもしれないと気づいてから、実際に受診できるまでに5年程かかりました。その期間も無理に働こうとしては首になる、を繰り返していました。ですから精神的には非常につらくて、まさに生きた心地がしませんでした。僕の親は、「本人の努力が足りない」と考えていたので、当時は親との関係も非常に悪かったですね。
栄子:そうした時期に支えになったものはなんでしたか?
小松:趣味で続けているゲームの友達とか、折り紙の集まりですね。特に折り紙の仲間には、変わった人が多いんです。ですから僕くらいはみ出してしまった人でも、受け入れてくれる度量があるんですね。はみ出してしまった人でも大丈夫だよ、と受け入れてもらえる場所を見つけていたというのは、救いになりました。
栄子:でも、そういう場所を見つけられる人と見つけられない人との差というのは、本当に紙一重ですよね。
小松:そうです。そういう場所がなかったら僕ももっとネガティブになって、場合によっては社会に対して強い反感や不満を持つようになってしまったかもしれません。人間嫌いにならなかったのが本当に良かった。それを辿って行くと、子どものころから好奇心が強くていろいろなところに出て行くのが好きで、人間嫌いにならなかったことが救いになったということですね。
栄子:就職もできず、支援も受けられない苦しい中で、自分の障害についてどのように考えたのですか?
小松:診断を受けるまでの期間にも自分なりに本やインターネットを調べながら、障害について受容しようと努めました。最初に手にとった本には発達障害についてあまり良いことは書いていなかった気がします。「犯罪を起こす」とか「ストーカーになる」とか、そんな言葉が目について、信じ込みやすい性格でしたから、本当に落ち込みました。でもインターネットなどで当事者の人たちの研究や体験を見て行くうちに、ああ、自分にはこういう考え方が合っているなあ、と思うようになったし、悪い事ばかりではないというのも分かったんです。そのようにして、診断を受けるまでには、自分なりに障害を受容できていったと思います。
栄子:できるだけいろいろなところから情報を集めて行くのが大切なんですね。
小松:そうです。1冊の本だけだと偏った考え方になってしまう。今発達障害に関する本はたくさんありますよね。でも僕が読んでみると「これって情報が古いよね」とか、「こんな悪い事ばかりじゃないよね」とか、逆に「こんなに当事者の現実は甘くないよね」など、いろいろと感じるんです。まあ、僕は本を書くような能力はないので、研究論文を書いたりはしないですが。

配慮は自らの働きかけが大切

栄子:それではいよいよ、放送大学での学生生活のお話をお願いします。
小松:もともと子どもは好きでしたし、自分の障害のこともあるので、特別支援教育について学びたいと思いました。専門学校を卒業していたので、2年次から編入する事ができました。それから卒業まで3年半学びました。その後2回目に入学した時には、5年かけてのんびり学びました。
栄子:障害について、大学ではどんな対応でしたか。
小松:障害については、最初の編入時に話しています。放送大学は、当時でも障害に対する対応はわりと慣れている感じでした。僕が配慮してもらったのは、定期試験を別室で受けることでした。自分で工夫したのは、科目履修の際に、できる限り筆記科目は取らないようにしたことです。それから自分の特性についてはきちんと先生に伝えて、できない部分は認めてもらうかわりに、授業内での発言を多くするなど、できることは一生懸命取り組む姿勢を見せました。このように、自分の特性をわかっていること、そして人間が好きなので、先生方と交渉できたことが、多いに役立ちましたね。
栄子:小松さんの言われたことは、私もとても大切だと思います。配慮を受けるには、自分にあった配慮は何かということを、自分自身でわかっていることが大事ですね。そして、自分にとって本当に必要な配慮を受けられる環境を、自ら作り出していくことも必要だと思います。ときには個人交渉も大切ですよね。先生も人間ですから、たとえばレポートを書くのが苦手でも、一生懸命質問したり、やる気を見せていれば、学ぶ姿勢があることを評価してくれるようになりますよね。放送大学で学ぶ良さはどんなところですか?
小松:一つ目には、非常に多様な人が集まっていると言うことですね。二つ目には、僕は心理学、認知科学、人類比較学なども学びましたが、それらが「自分を知る」ということに繋がったことです。福祉の面だけでなく、そうしたいろいろな面から自分を見ることで、自分について受け入れていくことができたし、考え方の幅も広がりました。
 発達障害はまさに「異文化コミュニケーション」ですよね。今僕が働いている会社でも、僕は自分のポジションについて「釣りバカ日誌」のハマちゃんのポジションだ、と例えているんです。会社の人たちもそれを納得してくれて「小松クンがいると雰囲気が明るく和むよね」と言ってくれています。僕は発達障害、とくにADHDの人の特性について、映画の「寅さん」を見ればよくわかると思うんです。まさに寅さんはADHDの典型みたいな人で、良いところも悪いところもいっぱい持っているんですね。その中でも僕が好きな特性として、ADHDの人は天性のトリックスターだと思っています。世の中を楽しませるものを持ってるんですよね。お金には繋がらないかもしれないけれど、周りの人が楽しんでくれたらそれでいいのかな、と思います。
栄子:多様な人が学んでいること、そして自分を見つめるきっかけができたことが良さということですが、他にも放送大学で学んで良かったところは?
小松:本当にいろんな科目があって、講師の先生も一流です。今はスマートフォンでも視聴できます。自分の履修していない科目も、時間がある時に何度でも視聴できるのは魅力です。
栄子:一般の大学で学んでいる発達障害学生の場合、授業が過密で、カリキュラムについていけない、興味に偏りがあって全ての科目を履修するのがつらい、4年間では単位が取れない、毎日通い続けるのが難しい、といったさまざまなトラブルを抱えてしまうようです。放送大学では興味を持った科目を自分のペースで学べるので、発達障害の学生も比較的学びやすいですね。
小松:そうですね。それに面接授業は非常におもしろいですよ。レベルも高いし、私語もまったくありませんしね。一般の大学では先生方が私語を注意するのに疲れてしまう、なんていう話を聞きますけどね。
栄子:そうですね。逆に発達障害の学生の方から、「他の学生の私語が気になって授業に集中できない」というお話を聞いたことがあります。
小松:先生方が、放送大学の授業はやりがいがある、と言いますね。
栄子:小松さんのお話を聞いていると、頭の中に引き出しを持つことができていて、それが学びへの意欲になっているんですね。
小松:そうですね。それは子どものころの好奇心の強さから繋がってきていて、今でもお金のあまりかからない範囲で引き出しは広げていきたいですね。

ライフワークは折り紙

栄子:さて小松さんの引き出しの多さといえば、非常に多趣味でいらっしゃいますよね。先ほどもプロレスやゲーム、折り紙のお話が出ていました。他には何が好きですか?
小松:映画も好きですね。ここでも放送大学が役に立っているんですが、映画論を学んだのをきっかけに、映画をたくさん観るようになりました。今年も50本以上観に行っているので年内に100本観に行けるかな、と思っています。
栄子:すごーい!映画館も多様化していて、バリアフリー上映をしているところもありますよね。
小松:そうそう、僕も音声解説アプリを使って観ることがあるんです。本来は視角障害者の方向けに作っているんですがADHDの人にも役立ちます。最近の映画は情報量が多くて、場面も複雑です。そんなときに音声解説つきアプリでは、場面や流れを簡単に説明してくれるので、僕たちにも理解しやすいんです。
栄子:私も音声解説つき映画を見たことがありますが、それが視覚障害とは別の障害のある方に役立っていることは初めて知りました。趣味の中でも、一番力を入れているライフワークは折り紙ですか。
小松:そうですね。日本折り紙協会の資格を持っています。主治医の先生も「ADHDの人って不器用な人が多いので、折り紙ってあまりやらないよね」と言うんです。僕 自身、決して手早く折れるようになったわけではないんです。ただ一つ一つ手順を踏んで丁寧にやって行けば、それなりに作品として仕上がるんだなあ、ということを身を持って知っているんです。だから人に折り紙を教えることは、とても好きです。その人がどんなところでつまずいてしまうか、難しいなあと思っているかを分かってあげられるんです。だから本格的に折り紙をやったことのない人に教えて、ある程度の作品を作れるようにすることができる、という自身はありますね。複数の人に教えながら大きな作品をみんなで共同して作ったりもします。折り紙を楽しんでくれる人が増えるのは、本当にうれしいですね。

写真:折り紙の作品

居場所をあちこちに見つけよう

栄子:最後に、これから大学で学ぼうと考えている学生、特に発達障害のある学生の皆さんに何かメッセージをお願します。
小松:天才と言われる人は、確かにホームランは打つかもしれない。当たればでかいけれど、でも打率は低い。僕たちの住んでいる世の中ではこうした天才よりもむしろ、ヒットを打ってきちんと結果を出せるアベレージヒッターを求めているんだと思います。であるならばこうしたアベレージヒッターになるにはどうしたらいいかを考えた方が、うまく行くのではないかと思います。天才型の人は1度の失敗を引きずってしまうようなところもあると思う。それよりも、できるだけいろいろなことに興味を持ってやっていく方が、うまくいくかもしれません。失敗してもいいんです。よく七転び八起きというけれど、たくさん転んでもたくさん起きあがればいい。たくさん転んだ分、起きあがるスピードを速くすればいいのだと思います。
英子:それには頑張りすぎないことですよね。大きく踏み出して転ぶより、ちょこちょこ転んで立ち上がればいいんですよね。
小松:そうそう。すぐに立ち直れる転び方さえわかっていればいいんですよ。それからやはり人間を好きになることは大切かなあと思います。そのために僕が一番伝えたいのは「自分を面白がってくれる居場所があるといいね」ということです。変な人でも生きられる場所はある。そしてそうした居場所は、できることなら1カ所ではない方がいい。ですから人との繋がりで何か挫折したとしても、1回でめげてしまわないことが大事です。人同士が広く弱く繋がりあうことがとても大切だと思います。
 さらにいえば、人を楽しませることのできる何か特技を持っているといいですね。僕の場合にはそれは折り紙で、資格を持っているからといってプロではないんだけれど、それでも出会った人からは「すごい!」と興味を持ってもらえるんです。そしてどうしたら相手に楽しんでもらえるかを考えていると、自分自身がとても明るくなれるし、人と繋がっていくのが楽しくなるんです。ですから皆さんも自分が好きなこと、ゲームでもいいし、アニメでもいい。何か他の人よりは少し知っているとかできるとかいう特技を持っていると「あの人はちょっと変わった人だけど、こんなこと知ってるよね、できるよね」と重宝してもらえるのではないかと思います。趣味がマニアックでもいいんだけれど、マニア同士でしか繋がれないのではなくて、できるだけ多くの人、一般の人にその趣味の良さを伝えられるように工夫していくのが大事だと思います。
栄子:小松さんのお話を聞いて、本当に勇気をいただきました。発達障害のある学生の方は、進路先の選択に苦しんだり、大学での生活になじめなかったり、いろいろなことがあると思います。でも居場所を見つけたり、人と繋がったり、本を読んだり、そうした一つ一つのことが繋がって、いつかは道が拓けてくる、ということを教えていただきました。そして私たち支援センターが、障害学生の方にとって、そんな居場所の一つというか、心のよりどころの一つになれたらいいなあ、と感じました。今日は長時間お話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。