先輩からのメッセージ 粘り強く前向きに~なりたい自分をイメージしよう~

宮地 めぐみ(みやじ めぐみ)
ルーテル学院大学 総合人間学部社会福祉学科 2011年度卒業
肢体障害

写真:宮地 めぐみさん
宮地 めぐみさん

101号 2018年10月10日発行 より


地域で過ごした幼少時代

 私は958gの未熟児で生まれました。1歳になっても歩けなかったため脳性麻痺と診断されました。しかし両親は「障害があっても一般の子と同じように育てたい」と思っていました。私は地域の保育園に通い、その後地域の小学校の通常学級で学びました。また、小学校の入学と同時に手動の車イスにも乗るようになりました。
 授業についていくのは大変で、毎日出される宿題も、夜中までかかって母と仕上げるような状態でした。しかし友達にはとても恵まれました。同級生たちは初めこそ「どうして歩けないの?車イスなの?」と聞きましたが、学校で生活を共に過ごしていくうちに「歩けないから車イスに乗っているだけなんだ。それ以外は自分達と同じなんだ」と認識してくれるようになりました。それからは、私のできること、できないことをきちんと理解した上で、自然に手助けしてくれるようになったので、私もクラスのみんなと一緒に居ることが当たり前になっていきました。
 もちろん学校行事も小学校から高校まで全て参加しました。運動会の徒競走は車イスで走りましたし、修学旅行へも先生方や同級生の協力で行くことができました。

友達とのかかわりを大切にしたい

 小学校の高学年になると次第に授業内容も難しくなり、中学校での勉強(たとえば定期試験など)を考慮して、進学の際に特別支援学校も視野に入れていこうかと考え始めていました。そんな時に友人から「卒業したら同じ地元の中学に行くよね?」、「中学に行ったら部活動何に入る?」と聞かれたのです。友人たちが、私が自分と同じ中学に行くのは当然、と考えていることに、私の方が驚いてしまいました。友人たちの言葉を聴いて「私もみんなと一緒に同じ中学に行ってもいいのかな」と思えた瞬間でした。これをきっかけに少し先の将来を考えてみました。「中学校は義務教育だから、みんなと同じ学校に行くことはできる。でも高校は義務教育ではないから、地域の高校に行けるとも限らない。友達と一緒に居られるのも義務教育の間だけかもしれない。」そう思ったとき、中学で授業についていけるかという不安よりも、友達と一緒にいたいという気持ちの方が強くなりました。そこで「どうしても限界を感じたら、そのとき特別支援学校に転校する」という選択肢を残した上で、これまでと同様に地域の小学校で学び、最終的には希望通りに友達と一緒に地元の中学校に進学しました。

勉強も部活も全力で

 中学校入学後、授業もさることながら学校生活自体にも慣れるまでに時間がかかりました。科目数も増えましたし、科目によっては授業間の10分の休憩で教室を移動しなくてはなりません。そのため休み時間にトイレのタイミングをはかったり、体育の授業に備えて、自宅で制服の下に体操着を着て登校したりしました。また授業の板書が間に合わないときには、友達にノートを借りるなど工夫しました。
 しかし大変なことばかりではありません。嬉しいこともたくさんありました。それは部活動に所属できたことです。初めは自分にできることも限られているし、どこの部も受け入れてもらえないだろうな、と思っていました。しかしこの時もまた小学校時代からの友達に「仮入部期間は誰でも見学に行っていいんだから、一緒に見学に行こう!」と背中を押されて陸上部に見学に行きました。私は小さい頃から車いすスポーツをしており、その中でも走ることが好きで、もしかしたら陸上部なら自分も走らせてもらえるのではないかと思ったのです。ダメ元で顧問の先生に入部の相談をしたところ、とても驚き困惑している様子でした。「陸上部でなくても、文化部に入ることも考えてみたらどうか」とアドバイスされたりもしました。それでも私は仮入部期間中、毎日足を運びました。そして「ほかの部員とは練習メニューが別になってもいい。大会にも参加できなくてもいい。グラウンドの端の方でほんの少し走らせてもらえるだけで十分です。」とお願いし続けました。そしてとうとう「そんなに走りたいのなら、他の部員の練習に支障のない範囲であれば、好きに場所を使っていい」と入部を許可してもらえました。
 時間があるときには顧問の先生がタイム計測をしてくれることもありましたが、ほぼ一人で練習していました。しかし入部してしばらく経ったある日、同じ部活の先輩が「練習前のウォーミングアップの間なら時間に余裕があるから、タイムを測るのを手伝えるよ」と声をかけてくれました。初めは先輩方の練習の迷惑にならないかと気になりましたが、顧問の先生の了承も得たと聞いて、その日から先輩達に協力してもらいながら練習しました。こうして短い時間ではあるものの、毎日の練習を通して先輩方と関わりをもつことができ、自分にも初めて“先輩”と呼べる存在ができたのだと嬉しかったのを覚えています。その後も部活には3年間在籍しました。
 勉強も一生懸命取り組みました。2年生に進級した際の学年主任の先生は、以前にも視覚障害の生徒を受け持ったことがあるということで、私に対しても気にかけて下さり「高校進学のことも考えたら、テストの時間など、可能な配慮はするよ」と言ってくださいました。こうして定期試験での別室受験と試験時間の延長、問題用紙の拡大、体育の実技評価をレポートに代えるなどの配慮を受けられるようになりました。それからは勉強に対してのモチベーションも上がり、日々の授業も集中して取り組めるようになりました。

高校生活をエンジョイ

 高校受験を考えるようになった頃から、外出の際に親の手から自立したいと思い始めました。もちろん不安はありました。授業についていけるだろうか。友達はできるのだろうか。何よりも、一人で通学できるのか。でも私はこれから先、一生車いすで生活していくのです。電車やバスに一人で乗れなければ自由に外出できません。今がチャンスだと思い、電車通学のできる高校を選ぶことにしました。そして朝の通勤ラッシュを考慮して定時制高校にしようと考えました。
 ちょうど私が進学する年に、県内にフレキシブル体制の高校ができると知り、私はその高校に入学しました。フレキシブル体制の高校とは、簡単に言うと、時間割を自分で立てることができる単位制高校です。単位制なので、大学をイメージしてもらえると分かりやすいと思います。初めこそ不安だった電車通学にも学校生活にもすぐに慣れました。友達と待ち合わせをして一緒に登下校したり、休日に遊びに出かけたりと、普通の高校生と同じように過ごせることがとても嬉しかったことを覚えています。私をありのままに受け入れ、見守って下さった先生方や、私に人を信頼することの大切さを教えてくれた友達が、4年間の高校生活を支えてくれました。そのお陰で学校が私にとって一番“安心できる居場所”でした。

大学選びにはニーズの明確化が大切

 高校での経験が自信となって、進路を決める時期には大学進学を考えるようになりました。そして自分自身の将来のためにも福祉を勉強したいと思い、社会福祉の学べる大学への進学を希望しました。しかし実際に資料を取り寄せてみたり、大学のホームページを見ても、キャンパス内のバリアフリーの状況や、障害学生が受けられるサポートなど、私の欲しい情報が得られず困りました。そんな時に偶然、全国障害学生支援センターの『大学案内障害者版』の本を知り、早速取り寄せました。
 それからこの本を活用して福祉系大学をピックアップし、都内近郊や地方の学校のオープンキャンパスに行きました。私が大学見学で外せないポイントとして考えていたことは次の点です。第1は、最寄り駅から大学までの交通手段(道路状況)が通学可能かどうかです。第2は、私が生活できる寮もしくはアパートがあるかどうかです。第3は、キャンパス内(たとえばトイレなど)がバリアフリーかどうかです。第4は、障害学生に対するサポートがあるかどうかです。第1と第2は生活面、第3と第4は学習面にかかわることです。志望校を決めるまでの間、こうしたポイントを念頭に、色々な大学を見て回りました。時には在籍中の障害学生から直接話を聞いたりもしました。キャンパス内はバリアフリーではあるものの、キャンパスが広すぎて、教室同士が離れているために移動に時間がかかってしまう大学が多くありました。また大学で問題なく過ごすことができても、生活面で、寮やアパートがない場合や、たとえあっても、車いすで生活するのが難しい場合もありました。このように自分に合う大学を見つけるのは時間がかかりました。
 こうした大学選びの中でたどり着いたのがルーテル学院大学です。生活面では、交通の便がよく、学内に学生寮があります。学習面では、障害学生を積極的に受け入れており、サポート体制もしっかりできています。またキャンパスが小さいため、教室間の移動もスムーズに動けます。私が求めていること全てが揃っている大学でした。1学年の定員が90名という少人数制の教育が受けられ、学生同士はもちろん先生方との距離が近く、アットホームな雰囲気に魅力を感じて受験を決めました。
 私は受験時には特別な配慮は受けず、自己推薦で入学し、入学後に、さまざまなサポートを受けています。まず、授業を聞きながらノートを取るのが難しいので、授業の復習ができるよう、ボイスレコーダーの持ち込みを認めてもらいました。また授業の内容が把握できるよう、授業でレジュメを使う先生には、可能な限り事前にレジュメをいただけるよう配慮してもらいました。さらに、試験の時には時間延長などの配慮を受けました。学年が上がり試験科目が増えた際には、私の体力も考慮しながら試験に取り組めるよう、教務課にお願いして試験日程を調整し、私だけの試験日程表を作成していただきました。また場合によっては別室で受験したりもしていました。

依存のコツを学んだ寮生活

 入学後は念願の寮生活をしました。入学前には一人で生活できるだろうかと不安でした。しかし寮で共に生活する同級生や先輩方が自然に手助けし、私を支えてくれたおかげで、入学前の不安もいつの間にか消えていきました。
それでも初めは、生活の中での時間の使い方がなかなかうまくできず、勉強と生活を両立できるペースを確立するまでに、だいぶ時間がかかりました。原則として食事は自炊をすることとなっていましたが、ガス台がIH対応ではなく、車いすで使うのは難しいので、平日のみ寮母さんが用意してくれていました。それでもできることは時間がかかっても自分でやってみたいと思った私は、たとえば洗濯はドラム式洗濯機を利用して自分でやっていました。夜遅くまで洗濯を回していたために、睡眠時間が少なくなってしまうこともしばしばでした。
しかし入学後初めての定期試験を控えた頃に「このままの生活ではいけない」と感じ、睡眠や勉強のための時間を確保するために、できることであっても周りに助けを求めるようにしました。同じ寮生だけではなく、授業の空き時間に通学生の友人と寮に戻り、部屋の片付けや、週末に備えてご飯を炊くのを手伝ってもらったりもしました。できることでも、時と場合によって、自分でする時と人に頼る時とのバランスを考えながら生活していくようにしました。

オープンキャンパスの学生スタッフ活動

 こうして私は、周囲の協力も得ながら自分の生活ペースを整えていけたことで、気持ちに余裕が持てるようになっていきました。そして入学から半年後、私の周りの友人達がアルバイトなどを始めるようになり、自分にも何かできることがないかと思っていたところ、学内の掲示板で、オープンキャンパスの学生スタッフ募集の張り紙が目にとまりました。その時ふと、高校時代に、自分でたくさんのオープンキャンパスに行った時に感じたことを思い出したのです。通常、オープンキャンパスは講義のない土・日曜日に行われることが多いため、大学に障害学生が在籍していることを説明してもらえたり、運良く学生スタッフの中に障害学生と友人だという人がいて、その人から話を聞けたとしても、障害学生自身に会って直接話を聞ける機会はありませんでした。私は、オープンキャンパスの学生スタッフの中に、障害学生も居てくれたらいいのになぁと行く先々で感じていたのです。最初は、自分が学生スタッフになっていいのかと正直迷いました。しかし、障害を持つ自分が“生の声”を伝えることで、少しでも受験生の不安が減ったり、大学生活がイメージしやすくなればと思い、オープンキャンパスの学生スタッフに参加することにしました。
 私自身、話すのが得意ではないため、しっかりと受験生や親御さんの疑問や不安に答えられていたか定かではありません。しかしそれでも、「直接障害を持つ学生さんから話を聞くことができて、すごく参考になった」、「授業でのサポートについて話を聞けて安心しました」などと言ってもらえるようになりました。こうしてだんだんと自信を持って、自分の言葉で話ができるようになっていきました。その後卒業するまでの4年間、私はオープンキャンパスの学生スタッフとして活動を続けました。この経験は、現在所属している全国障害学生支援センターの活動に通じるところもあるかもしれません。
 このように私は親元を離れて寮で生活し、多くの人との出会いによって、充実した大学生活を送りました。この経験は、社会人となった今でも自分の自信に繋がっています。
 最後に、これから大学で学びたいと考えている皆さん、諦めなければ必ず自分に合う大学に出会えるはずです。そのためには、自分で何を学びたいか、将来どのようになりたいか考えることが大切だと思います。そして一校でも多く、見学に行くことをおすすめします。

写真:バスから降りる際(アメリカにて)