川嶋 健太(かわしま けんた) 静岡福祉大学 社会福祉学部 2024年卒業 日本ライトハウス情報文化センター勤務 視覚障害
125号 2024年10月5日発行 より
大阪の日本(ニッポン)ライトハウス情報文化センターに勤務しております川嶋健太と申します。この9月で23歳になります。今回は大学進学を決めてから入学まで、その後の支援や就職に至るまでどのようにしてきたかを記します。少しでもこれから大学へ行きたいという皆様のお役に立てましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
私は未熟児で生まれ、生後数カ月で網膜剥離によりわずかな光を感じられるのみとなりました。幼稚園だけは双子の兄と同じところへ行きましたが、小学校から高校までは盲学校で、点字で教育を受けました。 中学生になり親元を離れての寮生活が始まりました。いろいろな人とかかわる中で、漠然と大学に行きたいと思うようになったのはこの頃からでした。小さい頃から音楽家やラジオパーソナリティーなどいろいろな夢を持っていましたが、その頃は当時教わっていた全盲の教師に憧れていました。知識の広がりとともに現実を直視できるようになり、夢も変わっていきました。 高校2年のとき盲ろう者向け通訳介助者の資格を取りました。盲ろう者の手に自分の手を重ねて点字を打つ「指点字」や「ブリスタ」と呼ばれる速記点字タイプライターを活用した通訳、ブレイルセンスという点字表示可能なパソコンの指導など、普段点字使用者である私が役に立つことがあり、とても大きな自信になりました。それがきっかけで福祉の道を目指すことを決めました。福祉の恩恵を受けるだけでなく、当事者の視点から携わりたいと思ったのです。 高校は地元の盲学校で学びましたが、ここから大学へ進学するまでが本当に大変なことでした。地方と都市部の教育格差なのか、通っていた盲学校には全盲の人が大学に進学した例がほぼなかったのです。あったとしても何十年も前。当時を知る人もいませんでしたから、一からやるしかありません。はっきり申しますが、先生方は何もしてくださいませんでした。大学選びのアドバイスはおろか面接練習や小論文の指導もほぼありませんでしたので、すべて自分でやりました。とにかく情報不足でした。障害があって進学に困っている方がいたらぜひ、このセンターや先輩からの話、SNS等、どんな方法でもよいので情報をつかんでください。
複雑な過程がありましたが第一志望の大学に合格できました。健常者とともに勉強することは大学までほぼありませんでしたから入学前は大きな不安を感じていました。そしていざ入学してみると、いかに狭い世界で生きてきたかを実感しました。目の見える友達との学生生活は視野を大きく広げることができました。 大学には数えきれないほどの支援をしていただきました。最もありがたかったのは教科書や資料をデータで提供してくださったことです。このデータを前述したブレイルセンスに読み込ませることで、みんなと同じように講義に参加できました。また外国語科目では、ハングル点訳のできるボランティアを探してくださり、無事に単位を取得できました。その他、教室の扉への点字シール貼り付け、学内の点字ブロックも増やしてくださいました。 それだけでなく、友人もたくさん手を差し伸べてくださいました。電車で会えば声をかけてもらい一緒に行きました。教室の移動、学食やコンビニを利用した時は、張り紙を読んでくれたり代筆をしてくれたり。講義中の眠気に耐え切れずこっそり抜け出したこともありました。 先生方も友人も、必要以上にというのではなく、私のできることは見守ってくださいました。日々感じる申し訳なさから入学当初は支援を頼めずにいましたが、徐々に人に頼れるようになりました。良い教授や友人に恵まれ、高校の時より手厚いたくさんの支援のおかげで本当に楽しい大学生活を送ることができました。私を大きく成長させてくれた大学に感謝しています。
こんな私ですが、就職は苦労しました。最初は実習を受け入れてくださった病院でワーカーになることが夢でした。就職予定で教授も推薦してくださりいろいろと動いていたのに、3月の面接で2時間ほどいくつもの差別的発言をされて、最終的には断られました。実習を共にした健常同級生は採用されていました。 この話はほぼ確定していた話だっただけに心の傷は深く、時々思い出しては一人で憤慨しています。 ワーカーを目指していましたのでいくつか受けましたが、どこも視覚障害者への興味から少し話を聞くだけ。はじめはやさしく出迎えてくれても、断られて終わりでした。障害者雇用を推進しているところほど、そんなものなのかもしれません。視覚障害者は少数派ですから想定されていないのでしょう。「午前中に相談支援部門の縮小が決まったから、応募を控えてください」と電話が来たこともありましたし、「お手上げです」とはっきり言われたこともありました。白杖を持っていたのに、ある社会福祉士から「車の免許は持っていますか」と聞かれた時にはさすがに驚きました。 社会からの障害者に対する理解は、予想よりも厳しいものであると実感しました。
就職活動を続けていくなかである方からご縁をいただき、今は前述した日本ライトハウスで働いています。点字図書の作成という新たな分野ですが、この分野も憧れていましたし、点字が大好きな私はとてもやりがいを感じてきました。入職して2カ月になりますが、先輩方から仕事を教わりながら充実した毎日を過ごしています。 こうして人生を振り返ってみますと厳しさもやさしさもたくさん学んだと思います。 障害者ゆえの苦しみもたくさんありますが、人生何とかなるものです。これから進学する皆さん、高くアンテナを張って情報を仕入れて、やりたいと思ったら何でも挑戦してください。そして、人とのつながりを大切にしてください。 視覚障害者の狭い世界から出たいという思いもあって大学に進学しましたが、今就職できたのもある視覚障害の方のおかげです。障害者を助けてくれるのは、障害者なのかもしれません。すべての人と仲良くする必要はありません。自分と調子の合う人たちとのつながりを大切にしてください。 私もまだまだ勉強を続けます。一緒に頑張りましょう。