殿岡 翼
「学びたいときに 学びたい場所で自由に学べる社会を実現する」
めまぐるしく移り変わる時代の中にあっても、私たちの使命は変わりません。まだ障害学生という言葉が知られていなかった1994年に「大学案内障害者版」の活動がスタートしています。以来30年、当センターが創立して25年の月日が経ちました。障害のある受験生の希望を実現することを目指して始まったこの活動は、国の障害者施策の中で欠かすことのできない分野として、障害学生支援が位置づけられるまでになった30年であったと考えております。
大学案内障害者版のきっかけとなった歴史的背景を少し解説します。アメリカでのADA法成立(1990)やアメリカAHEADの第1回開催(1992)などを踏まえて早稲田大学で「第1回障害学生と高等教育国際会議」が開かれるなど、1990年代前半は障害者の高等教育分野が日本で注目を浴び始めた時期でした。
東京都八王子市にあった自立生活センター(CIL)「わかこま自立生活情報室」代表の故大須賀郁夫さんが、1994年に全国全ての大学の障害者受け入れを調査して『大学案内障害者版』を発行しました。障害者の社会参加の拡大と高等教育の障害者への情報提供を目的として始まったこの活動は、全国の障害のある学生・受験生・大学からの相談が相次ぎました。最初の全国版「大学案内障害者版」の発行(1996)はマスコミ等で多く取り上げられ、当時隠れてきたニーズが一気に表に出てきたとの印象があったと言われております。 一方、当時大学生であった私は、阪神大震災の発生とその後の障害者の暮らしを自らの手で発信しようと『情報誌・障害をもつ人々の現在』(1995)を創刊します。これがのちの当センターの機関誌へと発展していきます。当時私と大須賀さんには直接の接点はありませんでしたが『情報誌・障害をもつ人々の現在』を見た大須賀さんから「うちで活動してみないか」と言われ、1997年4月大学卒業と同時にわかこま情報室で活動をスタートします。
1997~1998年に視覚・聴覚・肢体障害と異なる障害をもつ大学生を集めて、「大学案内障害者版」のもとになる調査票作成委員会を組織、調査票を全面的に見直しました。この時調査の回答が「大学としての総意である正確な事実である」という前提で行うこと、知的障害なども含めて幅広い調査項目を扱うことなどが定められ、今の調査の原型が出来上がっていきます。 それとともに「学生生活を通して見えてきたもの」という座談会を開催しました。そのメンバーには、現在東京大学先端研で教授をされている熊谷晋一郎さん、現在PEPNet-Japanで活躍されている吉川あゆみさんなどが含まれており、この時の経験を踏まえて受験から学内サポート・生活面と総合的に相談・支援する当事者団体として1999年4月、全国障害学生支援センターを創立しました。 なお同じ時期に旧関東学生情報保障者派遣委員会から関東聴覚障害学生サポートセンターが設立(1999)されています。この時期は講義の情報保障が本格化する時期とも重なっていきます。「大学案内障害者版」は受験生への情報提供のみならず社会的にも影響を与えていきました。
2000年代に入ると、調査の毎年実施を目指すものの、手作業による調査実施には限界があり、次第に調査の間隔が開いていくことになります。狭い、たった5畳の事務所でしたが、相談活動も積極的に行っていました。このころ相談活動で出会ったのが、のちに参議院議員となられる天畠大輔さんです。当時中学生でした。「あかさたな話法」を初めて目の前で見た時の衝撃は、今も覚えています。 またこの時期は「情報誌・障害をもつ人々の現在」の当センター機関誌としての年4回発行や「障害をもつ学生交流会」の毎年開催が定着し、当センターの事業が確立していく時期でもありました。またDPI日本会議に加盟して、日韓障害学生交流プロジェクトを開催したり、DPI世界会議札幌大会で発表するなど、外部へ出ていく活動も盛んに行っていた時代です。 当時当センターの外部では日本障害者高等教育支援センターJAHED設立(2001)、日本聴覚障害者高等教育支援ネットワークPEPNet-Japan設立(2004)など、関連する動きが活発になってきます。 また当センターの調査開始から15年後、日本学生支援機構JASSOが「障害学生の修学支援に関する実態調査」をスタート(2005)させています。JASSOの調査開始にあたってはお互いで話し合いの場が設けられ、当センターは「障害学生支援」、JASSOは「障害学生支援を行う大学の支援」と、それぞれの立場のすみ分けが行われています。障害学生という言葉が社会的に定着するのはこの頃になります。
2005年の冬、突然理不尽な理由から町田の事務所を追われることになった当センターは、都県境を越えて神奈川県相模原市に新たな事務所を構えることになります。車いすと盲導犬の両方を受け入れていただける物件を探すことは「皆無」と思われるほど難航しましたが、ようやく見つけることができ、2006年1月から相模原での活動がスタートします。ほぼ同時期、日本マイクロソフト株式会社からNPO支援プログラムの助成を受け、インターネットでの調査開始(2006)となったのもこの頃です。 当センターは社会的に評価を受け内閣府バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰を受賞(2008)しましたが、それでも実際には「調査の毎年実施」ができず、1回の調査が1年では終わらず、大学進学の情報が欲しい人がいても十分提供できないもどかしさがありました。
2010年代に入りますと、障害学生支援の活動はいよいよ国の法律・施策を動かしていくところに結実していきます。障害者基本法改正による差別の禁止・合理的配慮の定義がなされ(2010)、一連の障害者施策推進の流れを受けて文部科学省にて「障害のある学生の修学支援に関する検討会」がスタート(2012)します。公式の場で大学での合理的配慮について議論が始まったことは大きく、特定非営利活動法人ゆにの設立(2011)や一般社団法人全国高等教育障害学生支援協議会の設立(2014)へと繋がっていきます。 この頃当センターの内部では新会則が施行(2014)され、徐々にスタッフが増えていき、多くの障害当事者スタッフと活動を進めていく契機となりましたが、社会的な活動と当センターの本体業務を平行して行うことは当時難しく、結果として当センターの活動は停滞が続く冬の時代を迎えていました。
転機となっていくのは、障害者差別解消法の施行(2016)でした。私たちの活動に大きな法的支えが現れます。解消法の施行は第2次検討会・プラットフォーム事業(PHED・HEAP)開始(2017)にも繋がっていきます。当センターは事業内容や活動内容を解消法や検討会報告に合わせて磨き上げていく過程に入っていきます。またこの時期は当センターでの技術的進歩があった時期でした。調査の「根幹」とも「裏側」とも言われるデータベース・Web開発、これが調査のみならず様々な活動分野で統合を迎え、結果的に効率的な調査実施が可能になり、調査の毎年実施(2019)が完成しました。多くのスタッフによる活動拡大と技術の進歩により、一般社団法人化を目指して活動を進め、法人登記(2022)が完了しました。
法人化後も当センターは決して順調だったわけではありません。2022年の冬には法人登記に伴う負担から経済的危機が訪れ、みなさまの寄付によって救っていただく事態となりました。これまでも幾度となくそうした事態がありましたが、この時が最も大きなものでした。今活動が残っているのは、その時のおかげです。深く感謝いたします。 そして昨年は障害者差別解消法の改正施行(2024)が行われ、私立大学での合理的配慮が義務化されました。大学の障害学生支援に対する意識・施策も着々と変化してきています。 「障害学生を受け入れる」という抽象的な受け入れ概念を「定量的に計測できるデータ」に置き換えること、各大学の障害学生支援の状況を、統一的に比較可能な状態に構築することは、過去から現在まで回答内容が個別に公開されミクロ・マクロの両面で分析が可能な状態となっています。これらは当センターが「大学案内障害者版」の調査を通して積み上げてきた成果であり、今後とも担っていく役割の1つです。 現在当センターには9名の運営スタッフ、7名の活動スタッフ、6名のボランティアが在籍しています。ほとんどが何らかの障害のある当事者で、スタッフ・ボランティアには障害のある現役高校生・大学生も在籍しています。多くの仲間と出会い、ともに活動を発展してこられたことは、当センターにとっての大きな財産となりました。そしてスタッフを含めて多くの障害学生の声が綴られてきたのが本誌「先輩からのメッセージ」でもあります。 「大学案内障害者版」をはじめとする当センターの活動、障害当事者の声、そして法改正を含めた国の施策の進捗、そして何より多くの皆様のご協力・ご支援により、障害学生支援はさらなる時代へ向け発展を続けています。私たちも今後とも力強く変化への対応が必要です。最新の動向を踏まえながら、当センターはこれからも障害学生支援の時代の先端を歩んでまいります。