瀬戸山陽子
みなさま、こんにちは。全国障害学生支援センターの情報誌を見に来てくださってありがとうございます。情報誌担当の瀬戸山です。このエッセイは情報誌のオンライン化を機に、私が日々感じていることを自由に書かせていただいている場です。第4回目は、前号の雪さんの「共に生きる」に引き続き、「生成AI」についてです。(前号の「共に生きる」も、ぜひお読みください。)
みなさん、生成AIを日常的に使っていますか? 生成AIは、ここ数年で急速に私たちの日常へ入り込んできました。文章を書き、要約し、翻訳し、アイディアを整理し、ときには込み入った話の相談相手にもなります。大学教育の現場でもその影響はすでにとても大きくなっており、学生さんの中には、分からないことを尋ねるだけでなく、レポートの構成や小見出し作成に活用している人もいれば、何らかのディスカッションの要約作成の補助として使っている人もいます。一方で、「AIに聞けば答えが出るようなテストは意味がない」という意見もありますし、「生成AIに頼りすぎてよいのか」「学ぶ力が失われるのではないか」といった不安の声も聞こえてくるようになりました。
私自身は最近、大学で学生さんとかかわり、日々仕事をする中で、生成AIは単なる便利な道具以上の意味を持っているように思えてきています。適切に活用すれば、自分の知らなかったアイディアを得たり、視野を広げてくれたりしますが、使い方を誤れば、「思考のプロセス」や「手間をかけてじっくり取り組む姿勢」が失われることもあるかもしれません。またそもそも「思考プロセス」や「手間をかけてじっくり取り組む姿勢」自体が必要なのかという本質的な問も、出てくる可能性があります。この先AI活用は避けて通れないと思いますが、重要なのは、「AIを使うか、使わないか」ではなく、「何のために、どう使うか」ということだと感じます。
障害学生関連でも、AIは様々な活用をされ始めているようです。たとえば、長い文章を読むのに困難を抱える学生さんが、AIを使って文章を要約したり、難しい表現を言い換えたりすることで、授業内容への理解が進む場合があるそうです。また相手の反応がとても気になってしまう学生さんが、一度書いたメールをAIに入れてみて、「相手に失礼ではないか」「この表現は強すぎないか」を確認するという話も聞きました。さらに他の学生さんは「教員への質問メールを書くのにとても時間がかかっていたが、AIを使うことで負担が減り、授業についても質問しやすくなった」とのこと。以前なら、「質問したいけれど、文章がまとまらない」という理由で諦めていた場面で、AIが背中を押してくれる感覚でしょうか。目が悪い学生が眼鏡をかけたり、耳が聞こえにくい学生が補聴器をするのと同じように、生成AIもまた、一部の学生にとっては「学びを支える補助具」となりうるようです。
ただ何事も表と裏があるように、生成AIもまた、良いことばかりではありません。生成AIの大きな弱点の一つに、「もっともらしい誤情報」を平然と出力することがあります。一般的に「ハルシネーション」と呼ばれる現象です。AIは内容を理解して答えているわけではなく、膨大なデータから“それらしい文章”を作っているにすぎません。そのため、存在しない論文を引用したり、誤った説明を自信満々に示したりすることがあります。つまり学生がAIの回答をそのまま信じてしまえば、誤った知識を身につける危険があるのです。特に大学では、「正しい答えを得ること」以上に、「根拠を確認し、考える過程」が重視されますが、AIが作った文章をそのまま提出するだけでは、たとえ正解が得られたとしても、まったく学びになっていないというもったいないことになってしまう可能性があります。
また、AIは人間と違って、「悩むこと」や「ためらうこと」、「後悔すること」をしないと言っていた人がいました。悩むことやためらうこと、後悔することは、一見ネガティブなことに思われがちですが、実は人間の本質としてとても重要な要素です。
大学だけではないですが、学ぶことの目的は、単に知識を得ることではありません。自分で考え、悩み、他者と関わり、試行錯誤の中で迷ったり後悔したりしながら生きることそのものが学びだと思います。生成AIが広がる時代だからこそ、人間にしかできないことの価値は、今後高まっていきそうです。では、人間にしかできないことはなにか。それは、自分の頭で考え続けたいと思います。