先輩からのメッセージ 私の学生生活~先天盲ろうの大学生として~

森 敦史(もり あつし)
ルーテル学院大学 
総合人間学部 社会福祉学科3年
盲ろう

写真:森 敦史さん
森 敦史さん

91号 2016年3月30日発行 より


初めに

 読者のみなさん、こんにちは。私はルーテル学院大学(東京都三鷹市)の総合人間学部社会福祉学科に通っている盲ろうの学生です。盲ろう者とは「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せもつ人」のことをいいます。盲ろう者と言っても障害の程度などは人によってさまざまですが、私の場合は先天性(生まれつき)盲ろう者です。目は光と色がわかる程度で文字が見えないため、点字を使用しています。耳は補聴機をつければ声や大きな音は聞こえますが、声の判別(何を話されているか)や発話がほとんどできません。そのため、普段は指文字を含む触手話(相手の手話に軽く触り読み取るコミュニケーション手段)を使用しています。その他に、指点字(相手の指を点字タイプライターの6つのキーに見立てて、左右の人差し指から薬指までの6指に直接点字で打つ方法)などを使用することがあります。
 今回は、私の生活について、これまで受けた教育の状況を中心に紹介したいと思います。盲ろう者について詳しく知りたい方は、東京盲ろう者友の会(注)などのホームページに盲ろう者について詳しく書かれていますので、ぜひご覧いただけるとうれしいです。

高校までの教育状況(生い立ち)

 1991年に岐阜県で生まれ、3歳から難聴児通園施設「みやこ園」に通園しました。みやこ園では人とコミュニケーションを取れるよう手話やサインを中心に勉強しました。
 よく「どうやって手話や点字を覚えたのですか?」という質問をいただきますが、読者の皆さん、どうやって「声(ことば)」を覚え、他人と話せるようになったのかをちょっと思い出してみてください。おそらく「どうやって声(ことば)を覚えたのか」は覚えていないと思います。耳の聞こえる人であれば、苦労して発声の練習をしたわけではないでしょう。つまり、赤ちゃんの頃から周りの人の会話を聞き、自然に自分からも声で話せるようになったのだと思います。
 私の場合も、日常生活の中で母や先生が「声」の変わりに、手話や指文字でたくさん話しかけてくれていたおかげで「自然に」手話を覚え、他人と会話できるようになりました。したがって、苦労して手話や点字を習得したというおぼえがまったくありません。さらに「盲ろう児には経験をさせることが大切」という指導者や両親の考えにより、できるだけいろいろなことを体で経験し、その中で言葉も覚えた、という経緯があります。そのような早期教育を受けたおかげで、小学部卒業の頃には基本的な文章も書けるほどに至っていました。
 みやこ園卒園後は岐阜ろう学校の小学部に入学し、手話を用いて学習しました。盲ろう児は健常児や聴覚障害児に比べ学習に時間を要することから、一部で触手話通訳を伴った集団教育を取り入れつつ、できるだけ個別(先生と1対1)で自分のペースに合わせた教育が行われました。そういった教育体制は高校卒業まで続くこととなりました。
 小学5年からは点字での学習の強化などを理由に、東京都にある筑波大学附属盲学校(現視覚特別支援学校)に転校し、高等部卒業まで同校に在学しました。ろう学校時代に50音の点字を覚え、簡単な文章は書けるようになっていましたが、盲学校では本格的に点字を使用しての日本語文章の読み書きなどを学びました。
 ろう学校では手話を使って先生や友達とコミュニケーションを取っていましたが、盲学校ではほとんどの先生や友達が手話を知らないため、先生や友達には指点字または指文字を覚えてもらい、指点字や指文字でコミュニケーションを取るようにしていました。先生方の努力とコミュニケーション手段の拡大の影響もあり、日本語力も上達し、このように今は独力で原稿も書けるようになったと言えます。

大学入学に至るまでの経緯

 盲学校の高等部入学後に、将来盲ろう者を専門とした施設(作業所等)を作りたいと考えるようになったことがきっかけとなり、社会福祉に関する知識を身につけるために、大学進学を考えるようになりました。そこでまずは社会福祉学部があることを条件に、東京周辺の20ほどの大学に、入試を受けさせてもらえるよう交渉しました。しかし、盲ろう者には通訳と介助が必要なため、金銭的な負担などを理由に入学を断わられました。いくつかの大学に交渉した結果、最終的に二つの大学で入試を受けさせていただけることになりました。この2大学での入試には受かりませんでした。しかし大学に対して、盲ろう者について理解を深めてもらうために、面接などで自分や盲ろう者についてアピールした成果もあり、最終的にルーテル学院大学の自己推薦入試に合格して、大学進学を果たすことができました。

大学での支援について

 ルーテル学院大学には障害学生支援室はありませんが、障害学生は多数在籍しており、それぞれが必要な支援を受けています。私の場合、大学では基本的に一般の学生と一緒に授業を受け、通常の授業では補えない部分については、復習・予習として、空き時間に自習をするという形を取っています。
 学内での情報保障としては、すべての授業に触手話通訳者が配置され、先生が話されている内容や黒板に書かれている内容などを通訳していただいています。また、触手話通訳を受けながら自分でノートを取るのは困難なため、学生を中心に、ノートテイクとして授業の内容をまとめるという作業をお願いしています。それらの支援にかかる費用は他の障害学生と同様に、すべて大学に負担していただいています。さらに授業で使用する教科書や資料については、視覚障害学生への支援に準じ、大学から点字またはテキストデータで提供してもらうようにしています。テキストデータで提供されたものは、ブレイルセンスと呼ばれる点字ディスプレイに入れることで、自分で読むことが可能です。このブレイルセンスでは文章の読み書きの他、メールの送受信やインターネット、電卓などを私用することができます。そこでちょうど他の学生がスマートフォンを持ち歩くのと同じように、普段から鞄に入れて持ち歩いています。これとは別に、一般的なパソコンなどと接続できる点字ディスプレイもあり、これを介して必要に応じてノートパソコンも使用しています。ノートテイクについても、パソコンに打ち込まれたものは授業終了後にテキストデータとしていただき、ブレイルセンスで読むなど、工夫しています。
 その他先生や職員、さらには手話を知らない学生とやり取りをする際に、パソコンによるチャットを利用することがあります。また、パソコンなどの準備ができない場所でも他の人と会話できるように、点字と墨字(一般の活字)の50オンが書かれた自作の棒度を用意してあります。伝えたいことをボードの文字上で指差すことで、手話ができない人とコミュニケーションを取れるように工夫しています。
 見えないだけでなく、耳も聞こえない盲ろう者にとって、一人で街中を歩くのは難しく危険です。そこで私は学内の支援だけでなく、通学や外出にも同行援助(手引き)を必要としています。そこで入学時に「あっ君クラブ」を発足し、毎朝私の自宅に来て一緒に大学に行ってもらうボランティアを募りました。主に学内の手話サークルや近隣大学の学生が中心で、現在は約10人程度のメンバーに協力してもらっています。しかし支援者側の都合もあるため、どうしても人材不足が課題となっています。実際に支援者の寝坊や交通機関の遅延などによるキャンセルがあった場合、代理のメンバーを探すようにしていますが、直前の連絡だとどうしても見つからないということがあります。そのような場合は、授業担当の通訳者の方や大学の職員の方に連絡し、迎えに来てもらうことがあります。自宅から大学まで徒歩10分程度の距離ですが、たまに車で来てくださることがあり、申し訳なく思います。

写真:大学にて手話で話す森さん
大学にて手話で話す森さん

普通の学生生活を楽しむ

 私は大学に進学するまでは、ろう学校や盲学校にいたため、障害のない学生とかかわることがほとんどありませんでした。そのためできるだけ自分の生活を「普通の学生生活」に近づけるようにし、普通の学生生活を楽しむようにしています。サークル活動や飲み会などはもちろん、たとえ盲ろう者が楽しめない内容のイベントであっても、普通の学生の生活を味わうために、あえて参加したりすることがあります。たとえば聞こえる学制はよくカラオケに行くかと思います。しかし、私はあまり聞こえないし、うまく歌えないため、今まで学校行事のカラオケに参加したことはあっても、カラオケボックスに行ったことがありませんでした。カラオケボックスの中はどうなっているのか気になることはあっても、一人では行く機会がありませんし、行ったところで人がカラオケをしている様子は見ることができません。そこで大学の友達がカラオケに行くときに同行させてもらい、うまく歌えないものの、歌詞やリズムを手話等で教えてもらいながら、友達と一緒に歌いました。障害のない人からすれば「どうして聞こえないのにカラオケに行きたいのか?」と思うかも知れません。あるいは私と遊びに行くときは、盲ろう者としての私が楽しめるような内容を考えてしまうかも知れません。しかしたとえ他の人のようにうまく歌えないとしても、カラオケボックスの様子を観察したり、友達がカラオケをしている雰囲気を味わうだけでも、先天性の盲ろう者である私にとってはいい経験になります。ですから友達と遊びに行くときも、私が盲ろう者だからと言って友達にやりたいことを遠慮してもらうというようなことはせず、友達がやりたいことがあれば、たとえ一般的に盲ろう者が楽しめない内容であっても、私の方があえて友達に合わせたりしています。そのように勉強だけでなく、障害のない学生とも交流を深め、一般的な学生生活を楽しんでいます。

最後に

 大学の生活に慣れるまで、さまざまな「壁」がありましたが、支援や応援をしてくださった皆様のおかげもあり、卒業まで後1年残すのみとなりました。大学で勉強し障害のない学生と生活できたことは、本当によかったと思っています。学生のうちにしかできないこともあると言っている人がいますが、特別支援学校等に在学している人にとっては、大学は社会に参加するという意味で、いい経験になるのではないかと考えています。大学進学を考えている方、すでに大学に進学された方、様々な壁があるかとは思いますが、ぜひあきらめずに頑張ってもらいたいと思います。
 最後まで私のつたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

写真:通訳を受けながら当センタースタッフと話す森さん
通訳を受けながら当センタースタッフと話す森さん