先輩からのメッセージ やりたいことをじっくり探そう ~学びの楽しさを知った大学生活~

川端 舞(かわばた まい)
筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教育学専攻
肢体障害

写真:川端 舞さん
川端 舞さん

92号 2016年7月25日発行 より


初めに

 皆さん、こんにちは。私は現在、筑波大学大学院で教育学を研究しています。私は脳性麻痺による重度の運動障害と言語障害をもっています。日常生活は電動車いすを使用しています。会話はほとんど自分の声で話しますが、私の発音を聞き慣れていない人とのコミュニケーションは難しいです。そのため初対面の人に自己紹介をするときには、「私の言っていることが聞き取れなかったら、遠慮なく聞き返してください」と伝えるようにしています。私は、小学校から高校まで普通学校に通い、大学入学後はヘルパーを使いながら、一人暮らしをしています。現在、私は普通学校での障害児教育について研究していて、大学院を卒業した後も、現在の研究テーマを考え続けていきたいと思っています。今回は、私が今、普通学校の障害児教育について考えていることを、私のこれまでの経験を交えながらお話ししたいと思います。

「頑張り屋さん」の子ども時代

 子どもの頃の私は、自分の障害を学校の成績で補うことに必死でした。どんなに時間がかかっても、宿題は必ず終わらせ、学校の成績は優秀で、学校もほとんど欠席しない。そんな私を周囲の人は「頑張り屋さん」だと褒めたたえました。しかし、大学院生の今、当時の自分を振り返ると、なんとも恐ろしい子どもだったと思います。当時、「頑張り屋さんの私」を支えていたのは、障害を持っている自分を否定し、人間の価値を学力だけで見ようとする歪んだ考え方です。実際のところ大学に入学するまで、私は人間の価値は勉強しかないと思い込んでいました。

ありのままの自分を受け入れてもらった大学時代

 自分の障害を否定し続け、周囲に認められるためだけに勉強を続けていた私は、念願だった筑波大学の障害科学類に合格しました。しかし大学に入学して9か月経ったころ、私は何のために大学に行っているのかわからなくなり、3か月ほど不登校になりました。それまでずっと周囲の人たちから見捨てられないためだけに、勉強を必死にやっていたのに、大学に入学した途端、そのやり方が通用しなくなったのです。それは今考えれば当たり前のことで、大学は自分が知りたいことを学ぶために行くところだからです。

 行けなくなった私を支えてくれたのは友達でした。私は高校時代まで常に勉強しなければ見捨てられると思っていたのですが、大学の友達と遊んでいるときは、勉強のことは全く考えないで、心から楽しめました。それは大学の友達が、勉強ができるかどうかで評価するのではなく、ありのままの私を見てくれていると感じたからです。友達のおかげで再び大学に行けるようになった私は、誰かに認められるためではなく、純粋に自分の知りたいことのために勉強するようになりました。すると自分のために勉強するのはとても楽しいことなのだ、ということに初めて気づきました。

 私は大学時代は障害科学類に在籍し、主に特別支援教育について学んでいました。大学の授業はとても面白かったのですが、次第に、特別支援教育の分野では当然のように重視されている障害児の支援について、普通学校の教育を議論している一般の教育学の中ではどのように考えられているのだろう、という疑問を感じるようになりました。このような理由から、普通学校での障害児教育について研究したいと思った私は、大学院は特別支援教育専攻ではなく、一般の教育学に進学することにしました。

普通学校の障害児教育

 子どもの時に自分の障害を否定していた理由のひとつは、普通学校に通っていた当時の私の周囲には、同じような障害を持つ人がひとりもいなかったからだと思います。だから当時の私には、自分のような障害を持つ人がどのように社会で生きているのか全く想像ができず、また世の中には自分以外にも障害を持つ人がたくさんいるのだということさえ信じられなかったように思います。特に自分の言語障害が大嫌いで、自分は人前では話してはいけない人間なんだと思い込んでいました。

 私が自分以外に言語障害のある人に初めて出会ったのは、高校2年の夏、全国障害学生支援センターの殿岡翼さんが講演しているのを見に行った時です。言語障害のある殿岡さんが大勢の前で話し始めたとき、私は一瞬、目の前で何が起きているのか分からなくなりました。「言語障害のある人も人前で話してもいいのか」という疑問が、私の頭の中で渦を巻いていました。その講演のあと「自分は言語障害で悩んでいる」と話しかけた私に、殿岡さんが「僕も高校時代は友達とも話せなかったよ。」と答えてくださったことが、とてもうれしかったのを覚えています。その後、殿岡さんと直接お会いする機会はありませんでしたが、私はそれから漠然と「いつか殿岡さんみたいになりたい」と思っていました。

 障害児が普通学校に行っても、障害者としての生き方を教えてくれるロールモデルとなる当事者に出会える機会を保障できれば、普通学校の障害児も自分の障害を肯定できるようになるのではないか。これが今の私の考えです。この考えを具体的なものにするために、これからも研究をやり続けたいと思っています。いつか、普通学校の障害児教育に貢献できる研究者になりたいです。

 これを読んでくださっている方の中にも、自分が何をやりたいのかまだ分からない人もいると思います。でも、人生、何が将来のためになるのかは、やってみないと分からないので、焦らずゆっくり自分の将来を考え続けてほしいと思います。私もまだまだ悩みながら生きています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。