先輩からのメッセージ 大学生活の持つ意味~真の自分を見出せる最高の機関~

岩切 玄太(いわきり げんた)
自立生活センター自立の魂 当事者スタッフ
肢体障害
2011年 放送大学 教養学部 卒業

写真:岩切 玄太さん
岩切 玄太さん

97号 2018年1月31日発行 より


幼少時代の充実した体験

 わたしは脳性まひで、四肢のまひと言語障害などの障害があります。現在は横浜にある自立生活センター「自立の魂」(略してじりたま)に所属し、地域で暮らす障害当事者の方々の支援を行っています。
 出身は宮崎県です。両親はいじめなどを心配して、同世代の子どもたちの通う幼稚園へは当初通わせてはくれませんでした。外に出るときは常に母の腕の中に抱きかかえられていました。自分が知っている同世代の友人は同じ集合住宅の敷地に住む3人(みんな1、2歳年下)のみでした。
 5歳の時1年間だけ地元の保育園に通うこととなりました。不安いっぱいのスタートでしたが、ふたを開けてみると驚くほどに楽しい充実した1年間でした。短い期間ではありましたが、自分にとってはこの1年間で得た経験こそが後の人生を歩む上での原動力となりました。
 小学校への入学が近づき、地元の小学校の通常学級か、養護学校(現在の特別支援学校)のどちらに進むかという選択を迫られました。当時宮崎県では肢体不自由児で小学校の通常学級に入学した前例がありませんでした。しかしわたしとしては保育園で障害のない園児とともに1年間過ごしたという自信がありましたので、迷わず通常学級への入学を希望しました。しかし県の教育委員会や周囲の大人たちから猛反発を受けることとなりました。様々な不安を一方的に植え付けるようにまくしたてられた入学までの数か月。それでも根気強く交渉を続けていった結果、何とか無事に希望した地元の小学校への入学が決定しました。宮崎県内初の、地元の小学校の通常学級に通う肢体不自由児という、うれしいようなうれしくないような、記録に残ってしまいました。
 こうして念願が叶った喜びはあったものの、その気持ちとは裏腹に、入学に向けた教育委員会との交渉の最中で植え付けられた不安や恐怖が胸の内に重くのしかかっていました。通常学級の中で障害のない児童に囲まれながら、本当にうまくやっていくことができるのか? そんな根本的な思いが改めて顔を出し、ついついネガティブな方角へ引きずり込まれそうになる瞬間もありました。
 そしてついに学校生活が始まりました。スタートしてみればなんのその、入学前に渦巻いていた心配事やネガティブな感情は、すぐにどこかに吹き飛んでいました。気が付けばクラスの友人たちの輪の中で満面の笑みを浮かべている自分がいたのです。このように事前に頭の中で用意されていた憂慮はわたしの場合、ことごとく自然に乗り越えることができました。しかしそれは決して自分の力だけで成し遂げられたことではありません。周囲の友人や大人たちの適切で温かなサポートがあったからこそ、自分は何事にも挑戦することができたのです。
 地元の小中学校の通常学級で過ごすことで得られるものとは何でしょうか。私にとっては、大勢の健常者の友人の中で日常を過ごすことができたということです。健常者といっても、一人ひとりが実に多様な個性と身体性を持った人たちです。通常学級に通うことを通じて、そのような多様な人たちと長い時間ともに過ごし、同じ空間で数え切れない喜びや悲しみを共有することができた、という経験が得られたおかげで、どんな人たちのいる場所=社会に出て行っても大丈夫! という自信を手に入れることができました。
 小中学校は義務教育です。もちろん学校ですから勉強をする場所です。しかし勉強の内容以上に意味があるのは、ともに協力し合いながら、ともに学ぶという点にあると思います。特に障害学生にとっては、そこで得られる経験や感触や力というものが、障害のない学生以上に、その後の人生において価値の出てくるもののように思います。

自分らしいペースで過ごす大切さ

 さて、小中学校時代から転じて高校、大学というのは義務教育ではありません。進学するかしないかの選択は本人の意思にゆだねられています。小中学校はいわば「みんなで一緒に学び合い成長していくことを目指す場所」だったのですが、高校からは「一人一人が自分で自分を磨き上げながら、自分に最もふさわしい未来の生き方を模索し、目指すための場所」になります。鳥に例えると、みんなで協力し合いながら飛ぶことから、自分の力だけで飛ぶことを要求される、それくらいの意味合いの違いはあるのではないかと思います。
 ではそのような場において、障害当事者である学生が獲得できるものとはなんでしょうか? もちろん大学に行くことで得られるものとしては、それぞれの学問における専門分野に関する深みのある知識、キャリア、新たな友人など、様々なことが挙げられます。どれもが重要なものです。しかし大学に進学するメリットとして、往々にして見落としがちな点が一つあります。それは「自分のための時間を持つことができる」という点ではないでしょうか。
 義務教育期間におけるカリキュラムは、びっしりと年間を通して埋め尽くされており、すべての生徒は半ば自動的にそれに沿って学校生活を送ることとなります。障害学生の場合、そのカリキュラムの一つひとつをこなすのに精一杯になってしまいます。もちろん一つひとつのカリキュラムをこなすことで力を発揮し、自信を持つことができるので、そのような状況に身を置くことも必要なのかもしれません。しかしその結果、それ以外の場面ではへとへとで、なかなか自分のやりたいことができず、自分らしい時間をつくることができないという状況に陥ってしまいます。
 障害学生は義務教育を経る中で、ある程度の学力と自分に対する自信を手に入れることができるかもしれません。しかし社会に出るにあたって、自分がどんな人生を歩みたいか、そのためには何が必要で、自分には何ができるのか、といったことに関して、心も体も行ったり来たりさせながら、本当の自分を見出していく作業が大切になるのです。
 障害学生は小中学校の日々を全力で駆け抜けます。ほかの生徒のペースに遅れを取らないよう懸命に努力しながら毎日を送ります。しかし大学では、授業の取り方、卒業までのペースの組み方、いつ頑張ってどこで休むかといったことをほぼすべて、本人次第で決定することができるのです。もしかすると障害学生にとって大学生活は、本当の意味で初めて自分らしく過ごすことができ、学ぶことができる時間として捉えられるのではないでしょうか。
 大学生活はモラトリアムな期間ともいわれます。まさにその通りで、大学生活というのは、はっきり言ってしまえば多くの人にとって究極的には「時間稼ぎ」なのかもしれません。実社会に出て一人前に働くという意味では中卒、高卒であっても一向に構わないのです。だからといって、大学に進学することに価値がないというわけでは全くありません。むしろモラトリアムな期間であるからこそ、そうした時間を過ごすことに価値があるのです。
 大学に通う上では、義務教育の期間の学生生活のように、休むことなく授業に出席することが最も重要なのではありません。社会という流れの激しい大海原に、体ごと飛び込んでいく寸前の自分のためだけに用意された貴重な時間です。その期間に、今一度自分の身体のこと、感情のこと、自分の持っている弱点と武器、今いる環境、周囲の人間たち、そしてこれまでのことやこれからのこと…。そうした自分のまるごとを見つめなおし、自分の中にしっかりした軸を確立していくことこそ、最も重要なのです。
 小学校から中学校にかけてとても順調に日々の生活を送っていた私でしたが、高校受験の際に障害を理由に入学拒否にあうなど、いわば初めてのどうしようもない挫折を味わいました。しかしそれと同時にこのタイミングで、障害当事者である自分自身のことについて改めて振り返る機会を持つことができたのです。今まで周囲のペースに合わせることに必死で、どれだけ自分のことをないがしろにしてきたかということにそのとき初めて気づきました。自分の可能性について把握しきれていない現状で社会に出ても、自分らしく活躍することはできない、と考えた私は、大学進学を決意しました。しかし、同時にその頃どうしても将来のためにも「やっておきたいこと」が見つかったので、その作業と勉強を両立できる場所を探した結果、通信制の大学を選択することとなりました。

後輩へのメッセージ

 皆さんが学校を卒業してから飛び出していく社会は残念ながら、健常者と呼ばれる健康な手足を持つ人たちの身体(スタミナやスピード)を基準にして設計されています。特に現代社会(または企業)が個人に求めるパフォーマンスは年々増大しており、健常者と呼ばれる人々にとっても大変厳しくなっています。われわれ障害当事者がそのような社会に参加して活躍することは「不可能ではない」かもしれません。「自分は今までの学生生活を、他の友人たちと同じように乗り越えてきた、という自負をお持ちの方も多いかもしれません。しかし社会や企業の中で健常者と同じように活躍することには、想像以上の労力が必要です。もちろん「頑張ればいい!」とも言えるのですが、頑張りすぎたせいで、自分が本当にやりたいこと、自分らしい時間の使い方ができなくなってしまうということになりがちなのです。そうならないためにも、自分にできること、できないことをしっかり見極め、自分が最大限活躍できる場所を探すこと、またその活躍を支えてくれるような人との出会いを作ること、といったような真の自立のために必要なことにじっくり取り組むという点において、やはり大学というのは他にないうってつけの場所なのです。
 この先、大学進学を目指しているみなさん。人生は長いです。決してあせらずに、じっくりと揺れながら、ゆっくり深呼吸をして、存分に挑戦と挫折を繰り返し、4年間という時間にあまり縛られず、着実に自分の世界を広げていってください。